しなの追分馬子唄道中のようす
中山道の街道には、その宿場の歴史にゆかりある「祭り」が行われ、現在に伝えられています。
当時の大名行列を再現し古色豊かにとり行われているお祭りには、旅姿の武士・旅人を乗せた馬方が唄を唄いながら宿内を往復する「しなの追分馬子唄道中」や、授かった拝領人形を籠に乗せ古装束の一行が行列する「小田井宿まつり」があります。
長和町で毎年夏に行なわれる松尾神社の例祭で奉納される「大山獅子」は、雄獅子二頭、雌獅子一頭の舞による唄や笛が優雅なものです。
佐久市望月に伝わる「榊祭り」は、数百人の若者が松明を手に山から駆け下り、その炎を次々に鹿曲川へと投げ込む、荒々しくも幻想的な火祭りです。
東信州 中山道沿道に残る、祭・祭祀を紹介します。
(※クリックすると「ふるさと財団ポータルサイト」のコンテンツにジャンプします)
-
信州味噌発祥の地・佐久
中山道よもやまばなし(その九)
-
日本人の食卓もすっかり洋風化されたとはいえ、味噌は食卓に、そして保存食には欠かせないものです。
なかでも“信州味噌”は、日本で販売される味噌の35%のシェアを占めていて、全国一といわれております。その信州味噌の発祥の地とされているのが、佐久市安原にある宝林山安養寺です。
室町時代の貞治年間(1365年頃)に創建された古刹で、当初は普化宗(禅宗)でしたが、江戸時代、元禄12年(1700)臨済宗に転派し、本山・妙心寺の末寺となって現在にいたっています。
日本の臨済宗の開祖は栄西で、宋より茶を持ち帰り、『喫茶養生記』を著して、お茶を飲む習慣を日本に広めたことで知られています。
安養寺には貴重な古文書や古器物が遺されていますが、名目上の開山は法灯円明国師(無本覚心、俗名常澄)。覚心は承久元年(1206)、現在の松本市で生まれ、日本で修行した後、43才の時に宋に渡り、いくつかの寺院で仏法を学ぶと共に、各地の寺で独自の味噌をつくることが流行していた宋で、味噌の製法を学んで日本に持ち帰りました。
しかし、安養寺の寺伝に記されていて確かな開山は、大歇勇健(正眼智鑑禅師)で、覚心の同郷の孫弟子にあたります。
その勇健が安養寺で味噌の製法を教え、広めたわけです。6年前から安養寺が圃場で大豆を作り、岩村田の老舗・和泉屋がその大豆をと用いて「安養寺みそ」を醸造・販売しています。
[ 信州短期大学 中藤保則 ]

しなの追分馬子唄道中/軽井沢宿
小田井の道祖神まつり/小田井宿
小田宿まつり/小田井宿
岩村田祇園/岩村田宿
浅科中山道宿場祭り/塩名田宿
榊祭り/望月宿
大山獅子(松尾神社例祭奉納)/長久保宿