鼻顔稲荷
佐久は、長野県中東部に位置しており、古くは中山道・佐久甲州街道との交点であり、宿場町として発達していました。広く豊かな平野部では稲作と、水田を活用したコイの養殖が中心産業でした。
「佐久平」が、県歌で歌われるような「肥沃の地」になったのは、江戸初期の新田開発の功績が大きかったとも言われています。
岩村田宿
岩村田宿は、内藤氏1万5千石の城下町につくられた宿場でした。ここには本陣と脇本陣は構えておらず、龍雲寺・西念寺・円満寺・若宮神社など、大名家が寺院坊での休泊を行う宿場として栄えました。ここは佐久甲州街道、善光寺道、下仁田道の交差する場所でもあり、分岐点となる分去れがこの宿場にありました。
また、ここにある鼻顔稲荷神社は、永禄年間に京都伏見稲荷から勧請して創建されたと伝えられており、以来、東信地域の稲荷信仰の中心となっています。また、伏見(京都)・豊川(愛知)・笠間(茨城)・祐徳(ゆうとく)(佐賀)と並び、日本五大稲荷の一つとして伝えられ、特に2月の初午祭には、ダルマ市や露店が並び、県内外から大勢の参拝客で賑わいます。
湯川の断崖に建てられた社殿は、京都清水寺と同じ懸崖(けんがい)造りで、その景観も参拝客の目を見張らせます。
佐久地域 [岩村田宿] の中山道沿道に残る、史跡や観光施設を紹介します。
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塩名田宿
中山道と千曲川が交わる唯一の宿場が塩名田宿で、江戸時代の天保15年(1844)年には、本陣が二軒、脇本陣が一軒、問屋が二軒あったということが記録として残っています。
江戸時代、塩名田宿付近の千曲川は、流れも急で、洪水のたびに橋が流されていました。さらに、橋の架けなおしには負担も大きかったことから、一時舟渡しも行われましたが、不都合も多く、結局、橋を架ける方式がとられ、幕府は、橋を維持するため、佐久・小県郡内の村々で組合を組織させ、これにあたらせました。しかし明治に入り、組合での維持管理ができなくなってしまい、新たに船橋会社がつくられました。
この会社では、明治6年(1873年)に千曲川に九艘(そう)の船をつないで、その上に板を架けて橋とする「船橋」方式により渡川を確保しました。その際、船をつなぎとめるために使われたのが、上部に穴を開けた大きな岩石で「舟つなぎ石」を呼ばれています。
佐久地域 [塩名田宿] の中山道沿道に残る、史跡や観光施設を紹介します。
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八幡宿(やわたしゅく)
八幡宿は中山道第24番目の宿場で、周辺の八幡・蓬田(よもぎだ)・桑山地域の住民が移住してつくられました。この八幡宿には、天保14年(1843年)には、本陣一軒、脇本陣四軒、旅籠三軒、問屋二軒があったそうです。また、八幡本陣には、幕末動乱期に「公武合体」の象徴として、第14代将軍の徳川家茂に降嫁した皇女和宮が泊まっており、和宮から下賜(かし)された品物などが現在も伝えられています。 また、この宿を出て望月へ向かうと、瓜生坂の難所越えとなります。この瓜生坂は古代の東山道にあたり、この辺りから望月にかけては、今も数多く遺されている双体道祖神があり、腕が良いことで知られた伊那の高遠石工の手になる秀作が見られるといいます。また、元禄10 年(1697)に建立された「中仙道道標」の文字が「中仙道」となっているのは、「中山道」に表記統一された正徳6 年(1716)以前に立てられたもののようです。山道は瓜生坂を越えて佐久平を通る中山道最後の宿、望月宿に入るが、この瓜生坂は古代の東山道にあたり、遺跡も多く発見されています。
佐久地域 [八幡宿] の中山道沿道に残る、史跡や観光施設を紹介します。
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望月宿
江戸時代には本陣、脇本陣、問屋など29間が軒を並べ賑わった望月宿。中でも脇本陣の真山家屋敷は江戸時代に問屋と旅籠を兼ね、幕末には名主を勤めており、格子戸や白壁の土蔵、出桁造りの家並みが残る望月宿の一角に、今も往時の名残をとどめ、静かに佇んでいます。
望月地区にたたずんでいる石仏は、石像形や文字で刻まれたもの、祠形( ほこらがた) をしているものなどを合わせると、3千基以上存在しており、屋敷や墓地内のものも含めるとさらに多くなります。
道祖神はもともと村の入り口に立てて、疫病や悪霊が村に侵入しないように遮るための塞の神でありました。時代を経るにしたがって、生産の神となったり、また 生まれた子どもの成長を願う信仰へと変化していきますが、いつも村への岐路に安置して信仰されていました。この置かれている姿を文字で表現したのが協和にある『辻立神』道祖神で、辻にたたずむ神として村人の安全や道行く人の無事を見守っています。
佐久地域 [望月宿] の中山道沿道に残る、史跡や観光施設を紹介します。
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茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)
宿場間の距離が長かったり、峠越え等の難路であるなどの場合に、旅人に便宜を図る目的で、宿場と宿場の間に設けられた休憩用の町場のことを「間の宿」と呼んでいます。
ただし、宿場としては無認可であったため、旅人の宿泊は幕府から禁じられていました。このことにより、茂田井間の宿も商家が軒を連ねるなどしても、旅籠は存在していませんでした。
なお、間の宿より小規模な施設のことを「立場」(たてば)と言い、いわゆる峠の茶屋などもそれを言います。茂田井から見て芦田方面に笠取峠の立場茶屋がありますが、間の宿のなかには立場が発展したものもあったようです。ちなみに、中山道における「間の宿」は合計3ヶ所と記録されており、鴻巣宿 - 熊谷宿間の「吹上間の宿」、芦田宿 - 望月宿間の「茂田井間の宿」、鵜沼宿 - 加納宿間の「新加納間の宿」がそれです。
佐久地域 [茂田井間の宿] の中山道沿道に残る、史跡や観光施設を紹介します。
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宿場のあだ花・飯盛り女
中山道よもやまばなし(その六)
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良くも悪くも、街道の宿場の華といえば、なんといっても飯盛り女であったと思われます。
食売女とも書きますが、宿場の旅籠で泊まり客の給仕をする、ついでに夜のお相手をする女性たちです。
中山道でもっともにぎわった宿場が追分宿、すなわち飯盛り女もひときわ多く、毎日宿場で通る旅人を待ち構えていました。自分の旅籠に泊まらせようと、客引き合戦のにぎやかさ、強引さは、私たちの想像が及ばないものがあったようです。
最盛期には250人以上の飯盛り女が追分け宿にいたといわれます。女性や堅物の男性、あるいは懐の寂しい男性らは、飯盛り女を置かない平旅籠に泊まりました。
もっともそれらの旅籠でも飯盛り女を借りてくることができる制度もあったようです。明治になって宿駅制度は廃止され、飯盛り女たちも明治5年(1972)に解放されましたが、その多くは岩村田鼻顔に移り、花園町という遊郭が形成されました。
そのため追分では花園町を分里郭と呼びます。お座敷芸としての追分節も、花園町で伝えられたといわれます。江戸期に入って街道が整備される前、岩村田宿は円満寺の南、荒宿にありましたが、その円満寺には不思議な供養碑があります。
「故キャンベル夫妻追悼供養碑・大正五年拾月丗日建立」キャンベル夫妻は宣教師で、遊女たちの心の支えになっていたそうです。そのご夫妻が亡くなったのを哀しみ、遊女たちがお金を出し合ってその碑を建てたといわれます。
[ 信州短期大学 中藤保則 ]

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