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中山道・御代田地域[小田井宿]

皇女和宮拝領人形皇女和宮拝領人形

 小田井宿は江戸板橋宿から数えて 21番目の宿場町です。追分宿(軽井沢町)と岩村田宿(佐久市)の間に設けられ、旅籠はわずか5軒ほどの小さな宿場場町だったといいます。しかしそのことから参勤交代の大名の一行は隣の追分に宿をとり、小田井宿は姫の宿にあてたことから『姫の宿』とも呼ばれていました。

 宮家や公家の姫君の休泊に利用されることが多かったと伝えられている小田井宿には、今でも千本格子や街道の脇には用水が残り、当時の佇まいを残しています。

 小田井宿ができ400年を迎えた記念として、平成元(1989)年から上宿・小田井両区で、毎年8月16日に小田井宿まつりを行なっています。かつての宿場本陣に残る「小田井宿町割控」(天正16(1588)に記されたもの)にのっとって実施されます。

 皇女和宮が、14代将軍徳川家茂に嫁ぐ際、昼食をとるために一行で立ち寄ったといわれ、宿場にはその時和宮から貰い受けたとされる稚児の人形が伝わっています。小田井宿まつりは、授かった拝領人形を籠に乗せ古装束の一行が行列するお祭りで、当時を再現し古色豊かにとり行われています。

地域の分間延絵図 【サンプル】を見る(五海道其外延絵図 中山道使用)

 皇女和宮拝領人形は、高さ8.3cm 幅6.7cm 奥行5.5cmの小形品で、ふっくらした白肌の童子が正座をし、唐笠をかぶり、笠の紐を右手に持つしぐさなど、造作も丁寧で愛らしい人形です。この拝領人形は、江戸後期、勅使下向や参勤交代の際に手土産やお礼として贈られたもので、皇女和宮の昼食の給仕に出た、安川時太郎が恵与されたものが保管されています。

中山道・御代田地域[小田井宿]の中山道と鉄道や自動車要道路も含めた地図

中山道:御代田地域 [小田井宿] 観光スポット一覧

御代田町の中山道沿道に残る、史跡や観光施設を紹介します。

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  • 女性に好まれた姫街道

    中山道よもやまばなし(その弐)

  •  中山道は姫街道とも呼ばれます。どこかロマンをかきたてる名前ですが、その理由にはまず、将軍家や有力大名に嫁いだ姫宮の通行が多かったことがあげられます。

    九代将軍家重に嫁いだ比宮、五十宮(十代家治)、楽宮(十二代家慶)、登美宮(水戸徳川斉昭)など。そして幕末、十四代将軍家茂に降嫁した和宮の総勢8万人といわれる行列も中山道を通りました。また、東海道よりも約40㎞長く、しかも碓氷峠(1188m)や五街道の最高地点である和田峠(1600m)などの難所があり、別名を木曽路ともいって山道が続く中山道なのに、なぜか姫宮だけではなく女性の旅人にも好まれました。

    一説には婚礼に縁起のよい地名が多いからともいわれます。それも頷けることですが、しかし、佐久平にも追分宿や離山など縁起の悪いものもあります。実際には渡船・架橋が禁じられた大井川、日本三急流のひとつ富士川、天竜川などや、海も渡る東海道を避け、塩名田宿で千曲川を渡るだけであった中山道を選んだということでしょう。

    塩名田宿には9艘の舟を浮かべその上に板を敷いて人馬を渡した舟つなぎ石が今も河原に遺っています。女性が川越し人足に頼る川越えを嫌った理由は容易に想像がつきます。
    そして、川の氾濫による川留めが少ないだけに旅程を比較的順調にこなすこともできたわけです。また、参勤交代の大名行列も東海道の4分の1であったために、人馬の往来が少なかったことも好まれた理由のひとつにあげられます。

    [ 信州短期大学 中藤保則 ]

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