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芦田八箇略誌

[2016年3月30日]

ID:300

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挿絵

今から、二百三十年も昔(宝永八年)のことであります。立科の日向に、金子玄岱詮寅(かねこげんたいあきとら)という、お医者さんが住んでいました。そのころは、草や木の実をせんじて病人に飲ませたり、草のしるをきず口にぬったりしてなおすことでせい一ぱいです。どうしようもない病気やけがなどのときは、前にもお話したように、神さまや仏さまにおすがりするよりほかありませんでした。

金子玄岱は、病人のめんどうをよくみてくれるし、なおし方もじょうずなので、立科の村人たちにとっては、とてもありがたいお医者さんでした。だから、遠いうばがふところや、茂田井などからも、病気やけがをなおしてもらうために、多ぜいの村人たちが、日向の玄岱の家にやってくるのでした。

「玄岱さま、足の痛みもだんだんなくなってきて、ありがとうごわす。苗代桜が咲きはじめるころは、きっと足もよくなって、田んぼのしごとができるようになりやす。ありがとうごわした。」

塩沢からきた村人が、足の手当をしてもらいながら、玄岱先生と話しています。

「…たてしな山の赤沼池に、また、かっぱが現われて旅人たちをくるしめているそうでやすよ。…春になって暖かくなると、また小諸のとのさまに立科山のわらびを一たるお届けしなければならないので、玄岱さま、早く病気をなおしておくんなんし。…」

村人たちは、手当をしてもらいながら、いろいろと村のようすや自分のしごとなどの話をしていくのでした。玄岱は、にこにこしならが、そうか、そうかとやさしく聞きながら、薬をつけたり、ほうたいをまいたりしてやるのでした。

ある日のことです。玄岱は、病気などをなおしにくる村人たちが話す、村のできごとや、村人たちの生活や、畑しごとなどを、こまかく帳面に書き残しておくことがとてもたいせつなことだと気がつきました。

「そうだ。この立科の村人たちが、どのような生活をし、何を考え、どのように生きぬいているかということを、百年も二百年も後々の人たちに言いつたえてやらなければならない。村の歴史を書き残してやること、これが私のやるべきたいせつなしごとなのだ。」

それからというもの、金子玄岱は、家にくる村人からはもちろん、ひまをみては、立科の村中を歩いて、いろいろなできごとや、生活のやり方などを聞いてまわり、こつこつと帳面に書きとめていくのでした。

そして、その帳面に「芦田八ケ略誌」という題をつけたのです。芦田、山部、牛鹿、塩沢、細谷、藤沢、茂田井、八重原の八ケ村の、家の数や村人の人数、作物の取れ高や年貢(税金)、用水、お宮やお寺、いいつたえや昔ばなしなどを、くわしくていねいに、びっしりと帳面に書き残したのであります。

二百三十年も前の立科の村のできごとが、こまかく書き残されていて、そのころの村人たちの生活がわかるということは、これはたいへんなことなのです。立科の町に、このような帳面が残されているということは、立科町にとっては、大きな誇りであります。ふるさと立科のために、立科の後々の人たちのために、立科の昔の歴史を残そうと努力した金子玄岱詮寅という大先輩がいたことを、私たちは忘れてはなりません。金子玄岱の住んでいた家は、今でも日向に残っています。

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