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たてしなの古い道

[2016年3月30日]

ID:290

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挿絵

みなさんは、昔の道というものがどのようなものであったかごぞんじですか。

人が歩いたり、にもつを背中に背おったり、ときには馬につんで通るあぜ道くらいの道があればよかったのです。今、わたしたちが歩いている道も、昔はせいぜい三尺(約九十センチ)ばかりのせまい道がつづいているだけでした。

塩沢新田(西塩沢)に住む六川源五右衛門(ろくがわげんごえもん)は、きょうも、西塩沢と野方のあいだをおもいにもつを背おって、一日何かいもあせを流しながら歩きつづけました。

「ああ、つかれたつかれた。なんとか、たくさんのにもつを一度にはこべる方法はないものかなあ。それにしても道がせますぎる…。」

いろりにどっかりと腰をおろして、つかれた足をさすりながら、源五右衛門は考えこみました。

そのころ(明治十四年)、ぼつぼつ荷車や荷馬車がはやり始めていました。人や馬の背ではこぶにもつなどはしれたものです。そこへいくと、荷馬車ではこべば一度にたくさんのにもつがはこべるのです。

「これからは、なんとしても荷馬車がとおれるくらいの広い道がなくてはだめだ。道さえ広くすれば、たくさんのにもつがはこべるし、村の人たちも、ずっとらくになるだろう。ようし、なんとかして、野方まで道をすこしでも広くしてやろう。」

そうけっ心した源五右衛門は、さっそく村人たちにそうだんしました。

「でもなあ、源五右衛門さん、車が通れるには道のはばも五尺(約一・五メートル)ぐらいはほしいし、そうなると、たくさんのお金もかかるし…」

「よしよし、かかるお金は、ぜんぶわたしが出しますので、みなさん、ぜひ力をかしてください。」

しりごみする村人たちをはげまして、ついに源五右衛門は、西塩沢から野方までのせまいあぜ道を、荷馬車のとおれるくらいの広い道につくりかえたのでした。

村人たちのよろこびようは、いうまでもありませんでした。

源五右衛門は、その後もっともっと大きなのぞみをもつのです。それは、大門峠(白樺湖)へいく山道を、荷馬車のとおれるような広い道にしようとすることでした。

六十一才になった源五右衛門は、村人たちが、たて科山をこえて、遠く茅野や諏訪までおもいにもつをはこぶくろうを、なんとかたすけようと思いたちました。

そのころの山道は、人がやっととおれるくらいで、道らしい道はありません。源五右衛門は、道ぶしん(道を作るしごと)のかんとくをするために、雨境に山小屋をたててそこにうつり住みました。自分のざい産をなげうって、ついに、大門峠までの約十八キロの長い道を、荷馬車のとおれる広い道に切りひらいたのです。

そればかりではありません。その道を歩く旅人たちのために、夏はすずしいように、冬は雪をふせぐようにと三万本のから松を、道ぞいにうえました。今でも、そのから松が、ところどころにのこっているそうです。

荷馬車でおもいにもつをらくにはこべるようになった村人たちは、心から源五右衛門に感謝しました。そしてざい産までなげうって、道を広くしてくれたご恩を忘れないために、雨境と野方池のところに、六川源五右衛門をほめたたえる石碑をたてて、のちのちの人々にその手がらを語りついでおくことにしました。

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