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木宮大明神

[2016年3月30日]

ID:281

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~芦田記異聞集による~

挿絵

砂原孫二郎直純(すはらまごじろうなおずみ)は芦田下野守信守(あしだしもつけのかみのぶもり)の出陣のあとをあずかって芦田の城を守っていた。

十二月二十八日の朝のことであった。孫二郎は芦田勢の武運を祈りに木宮の社へ詣でた。

みると社の境内にうっすらと雪がつもった上に、馬蹄(ばてい)のあとが残っている。そのあとも社の前から鳥居の方へむかっている。

「不思議なことだ。この蹄のあとを見る限り馬が社から出て来たことになる。どうもがてんがいかん。」

孫二郎は昨夜、馬のくつわのあし音で眼がさめた。が、別にかわったこともなかった。しかし、それからどうも眠れなかった。孫二郎は今朝夜があけるのを待ってまた外へ出てみた。

「なにか殿の身の上にかわったことがなければよいが」と案じて、社にまいったのだった。

元亀三年十二月二十八日、芦田下野守勢は八百人をひきいて、明和の城主遠山景行をせめるために進んでいた。北の山には雪雲が見えるのが東美濃の空は 青く澄んで晴わたっていた。朝の空気は冷たく馬のはく息が白い。間者の報告によると遠山景行は、遠山一族を結集し、五千に近い軍勢をもって、上村に陣をか まえているとのことである。上村は上村川を矢作川を前にし、その間にはさまった地点で攻めるに難く守るに易い要害の地であった。

芦田勢は杉の茂った山々の間をぬって進み上村のかなり手前から、高野、平井、大草、真山の諸隊を左右に展開させた。上村に近づくと、遠山勢はすっかり陣をかため、旗さしがあちこちにはためいている。

日はかなり高くなった。芦田勢のほら貝の音を合図に、いくさが始まった。芦田も遠山もともに討って出た。芦田勢は必死の勢いでたちむかった。二度三度とわたりあったが、何分にも十分な防備かためてあり、しかも多勢に無勢、芦田勢の疲労の色はかくせない。

芦田の陣は次第にくずれ、浮き足だってきた。

と、そこへ、いつ現れたか黒糸縅(くろいとおどし)の鎧に鍬形のかぶと、あし毛の馬に乗り、大身の槍を小脇に一人の武者が現われ、迫ってくる遠山勢の中を、静かに馬を敵陣へのりいれていく。おどりかかってくる雑兵を電光石火の早わざで左右につきふせる。そのたびに鎧が日の光をうけて、きらっきらっと光る。

黒糸縅の武者が進んでいくと、敵はくもの子をちらすように、くずれて逃げる。武者はゆうゆうと遠山の本陣へ迫っていく。その働きは人間のわざとは見 えない。鬼神のようなすばやさに、遠山の陣はつぎつぎとくずれていく。芦田勢はこれを見て、急に元気を得て陣をたてなおし、黒糸縅の武者にあとを追い敵を けちらし、ついに遠山景行を討った。

芦田勢は意気揚揚と今日の戦いの勝利によい、興奮しながら引きあげたが、気がつくと黒糸縅の武者の姿はいつのまにか見えなくなってしまった。

夜の酒宴では、突然現れた黒糸縅の武者の話で持ちきりであった。

その夜、芦田下野守は芦田城へ、勝利を知らせる使いを出した。と、社の方から、その朝、木宮の社の境内に降った雪の上に、社から出ていく駒の蹄のあとがついていたという便りがとどいた。芦田下野守は、

「ああ、ありがたや、わが危難を救いたもうたのは、日頃うやまっている木宮大明神であったか。」

と、木宮大明神の社の方に向って、いつまでも手をあわせていた。

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